今回の「てくてく」は
データ・テック中島顧問おススメ
をご紹介♪
日本のまつりは、年間数十万件もあって、種類、数ともに世界一。
日本では共同生活の中に常に祭りがあって、
昔から、地域の絆や調和は祭りによって保たれていたところも大きいらしいよ。
「祭り」の意味は、
「奉る」
自然の恵みに感謝し、自然の猛威に恐れおののき、生きるために神様に祈り奉る。
昔、祭りは「まつりごと」といわれて、祭りによって色々なことが決められていたんだ。
掲載した写真は中島顧問から提供いただいたものだよ。
躍動感ある写真でしょ!
中島顧問が取材した内容をもとに紹介するね。
東京都大田区羽田。
7月最終の土曜、日曜に開催される通称『羽田まつり』
祭り二日目の日曜日 午後3時頃、羽田空港の海老取川のところにある赤い鳥居の広場に町内神輿24基が勢ぞろい。フツーの祭りなら、神輿は台に大切に置かれているのに!羽田は違うんだよ!!!
神輿を地べたに直置き 不思議な光景!
中島顧問も、初めて見たそうだよ。
午後3時になると、橋を通行止にして祭壇を設け、神主が祓い清めた後、産業道路までの道のり、年ごとの順番に神輿を担いでいくんだよ。
さすがに漁師町!! 大漁旗の中を進んでいくんだけど…
何かへん!?
担ぎ方が変なんだ!
『ヨコタ』は、神輿の屋根の鳳凰を前向きにして進み、要所要所で突然止まり、合図で先方の人は鳳凰の方を向き、鳳凰を揺さぶるように左右に振る。
ひとしきり振った後で、前を向き進み、突然とまる、そしてまた振る。
『ヨコタ』で振る場所は、橋の中央、交差点、各町内のお神酒所などなど、決まりがあるみたいだよ。『ヨコタ』する時は、店や、家の方に鳳凰を向け、必ず前向きにして感謝をあらわすんだって。
町内のどの家の前にも細いしめ縄が飾られ、路地裏の軒先にも全て細いしめ縄がしてあるんだ。このしめ縄は雑色の六郷神社の祭りも同じだったと中島顧問が言ってたよ。この団結心は漁村ならではのものかな。
かつて漁師町だった六郷も、羽田まつりと同様に『ヨコタ担ぎ』なんだって。
『ヨコタ担ぎ』は船の横揺れを表現したものなんだよ。
『ヨコタ』の担ぎ方は「縦棒」と「横棒」の人で動きが違うから、それを知らずに他から来た助っ人の担ぎ手は、スグに担げないかもね。
『ヨコタ担ぎ』は、ここで解説するより実際に自分の目で見たほうが判りやすいよ。迫力満点の『ヨコタ担ぎ』を来年は見に行ってみて!
東京都大田区の京浜急行 大森町駅から徒歩8分の厳正寺(ごんしょうじ)で、今年(2017年)は7月14日(金)午後1時から約3時間 「水止舞(みずどめのまい)」が奉納されたよ!
昔、大干ばつに見舞われた時に、住職がワラで龍像を作って祈祷して雨を降らせたんだって。ところが2年後、今度は長雨が続いて田畑が流されちゃったんだって。そこで、獅子の仮面を3つ作って「水止(しし)」と命名し、それを農民にかぶらせ舞わせて、太鼓を叩いたり、法螺貝を吹いたりして、龍神に雨がやむよう「水止」の祈祷をして雨が止み、感謝の舞として「水止舞」を捧げるようになったんだって。
今も、藁筒に入った龍神役の年男を転がしたり、運んだり。龍神は水をかけられるたびに、水が嬉しくて法螺貝を吹き鳴らす。寺に到着し、藁をほどくと、龍神が這い出して、鹿とともに雨が止んだことを慶び、祈り踊るんだって。珍しいお祭りだね。
近くの中学校の体育の単位になっているらしくて学生さんや先生も水運び、水かけ、龍運びなどを、短パン・裸足で走り回っているんだよ。
観ている人にもバケツの水をジャバッ!
掛けてるほうも、掛けられてるほうもテンションMAX!
はじめは行儀よく龍に水をかけているんだけれど、盛り上がってくると、だんだん水運びが忙しくなって、テンションが上がってきちゃうと、所構わず水をぶちまけるから、観ている人もビショビショ。慣れている観衆はカッパを着て見にくるんだって。
藁筒に入った龍神が地面に転がっている姿は不思議だし、水浴びも楽しそう♪
来年の7月には大森町に行ってみたいな!
皆さんも是非、行ってみて。
毎年7月の第3土曜、日曜に高知県香南市赤岡町で開催。
この街は数年前まで日本一小さい町と言われてたんだって。土佐街道の港町で、4月には全国的に有名な「どろめ祭」という祭りがあるんだ。赤岡の海岸でみんな集まり、ここの銘酒「豊能梅」を男は一升、女は半升を一気飲みするらしい。さすが!飲兵衛日本一の高知県。
7月にある「絵金祭り」は、絵金の芝居絵屏風を商店街に飾り、屋台が並び、さまざまな催しが行われる賑やかな祭りだよ。
江戸末期、歌舞伎の場面をおどろおどろしく描いた屏風絵(二枚もので片側が90x180㎝)。陽が落ちて薄暗くなる午後7時頃、合図とともに町の街灯が一斉に消灯。屏風が各店の前に開いて置かれる。その前にローソクを置き、その光だけで見る。ボランティアの博識者が内容の解説。揺らめく光の中でみんな引き込まれてしまう。これを絵金に喰いつかれたと呼ぶんだって。
『おどろおどろしく』は、口ではいいあらわせないと中島顧問。
浄瑠璃の仇討ち話で切腹、切られ幽霊などなど、歌舞伎では綺麗に見せている様子を、実際にそのまま絵にしてあるんだって。本物は町の宝として弁天座の向かいにある絵金蔵という美術館に収蔵されていて、 これまた館内は暗く、提灯を持って観るという懲りようで雰囲気満点。
本格的な芝居小屋になっている弁天座では、町内の役者(子から親まで)が、なりきって歌舞伎をやっている。この芝居小屋は、その昔、旦那衆が金を出し合って建立したらしいよ。今の弁天座は、7~8年前に建て替えたものなんだって。
一度見たら忘れられないほど強烈な印象を残す絵。この芝居絵屏風を描いたのは、絵金と呼ばれる絵師なんだって。絵金(絵師金蔵)の生涯は波乱の人生。
絵の好きな髪結いの子供が、駕籠かきの供となり江戸にのぼり、狩野派を学び、土佐藩の御用絵師になった。ところが、贋作を描いたとして追放され、町絵師になって芝居絵を描き、迫真力のある芝居絵屏風を大成させたんだって。
浮世柄比翼稲妻 鈴ヶ森
(うきよづかひよくのいなづま すずがもり)
仄暗い闇から浮かび上がる幡随院長兵衛の鮮やかな衣装と、白井権八の色気を含んだ美しい顔、さらに眼をこらすと鮮血にまみれた雲助たちの白い死体が生々しく迫る。妖美、陶酔、残酷、怨念・・・さまざまな言葉で語られてきたこの絵はもっとも絵金らしい要素に満ちた代表作の一つとして人気の高い作品。
「お若いの、お待ちなせえやし」 「待てとおとどめなされしは、拙者のことでござるかな」ご存知「鈴ヶ森」は、おたずね者の白井権八を.客幡随院長兵衛が呼びとめる名場面。周りにはおたずね者権八を金欲しさに襲ってきた雲助が切り捨てられ、血しぶきをあげた首や腕が散らばる。右手には品川宿に停する船二隻、上空は青黒い闇夜に鎌のような三日月か冴えわたり静まりかえっている。
伊達競阿国戯場 累
(だてくらべおくにかぶき かさね)
絵金の代表作の一つ。
画面中央に見えるのが、物語の主人公・累。姉の怨念により醜女と化した悲しい女。
事の始まりは、谷蔵の高尾殺し。谷蔵は自分の仕える主人の苦境を救うため、主人の郭遊びの元凶である遊女・高尾太夫を殺す。
谷蔵は与右衛門と名を変え、その妹・累と所帯を持つ。与右衛門と夫婦になった累は、姉の祟りで顔が醜く変わってしまうが、それに気づいていない。
そこへ主人の許嫁・歌方姫が逃げてくる。追うは悪人・金五郎。
歌方姫を花街に売ろうとしている。金五郎は歌方姫を捕らえるために、累にその醜貌(しゅうぼう)を暴き、歌方姫が与右衛門の愛人だとそそのかす。自分の醜貌に絶望し、夫が浮気していると誤解した累は、嫉妬と姉の怨念で二人に掴みかかる。
花衣いろは縁起 鷲の段
(はなごろもいろはえんぎ わしのだん)
(旧称 二月堂良弁杉の由来)
(にがつどうろうべんすぎのゆらい)
絵金祭りで、人だかりの絶えない人気の作品。
中央に真っ赤な着物をひるがえし、必死の形相で子供をつかもうとする母、その左に金色の目を光らせた獰猛(どうもう)な顔をした鷲、背景にはのどかな田園。日常に起こった一瞬の悲劇を見る者の脳裏に焼きつけるように描いている。
甲斐(かひ)の国松江家家臣、山中左衛門尉義継(やまなかざえもんのじょうよしつぐ)と小督(こごう)は滋賀の里にて百姓となり、息子三之助と幸せに暮らしていた。
ある日、義継は芝刈りをするからと先を急ぎ、母子がその後を追うところへ風と供に鷲が急降下。牛の背に乗っていた三之助をつかんだ。小督は三之助の着物の紐をとらえたが、その紐はちぎれ、舞い上がった大鷲は雲居の彼方に消え、小督は嘆き悲しみ、あまりのことに義継は狂乱してしまう。
屏風絵は通常19:00より21:30頃までの展示だって。
仄暗い中で、浮かび上がる屏風絵は衝撃的なんだろうな。
びっくりして卒倒しないようにしなくちゃね。
今回の「てくてく探訪」は、中島顧問選りすぐりの日本の祭りを3つ、ご紹介。
中島顧問は、全国を周って日本のまつりの写真を撮っているんだよ。
まだまだ、中島顧問おススメの祭りが、
たくさんあるんだ♪
次回の「祭りシリーズ」第2弾を、
お楽しみに!!!